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沿革・施設
沿革
慶長五年(西暦1600年)、宇喜多家の忠臣であり、備中猿掛城の城主である、花房志摩守正成(※)が毛利元清の遺領備中五千石を賜り、横谷御土井に居住しました。
法華経の熱心な信仰者であった正成公は、自身の屋敷から真っ直ぐ道を作った山の上に、先祖遙拝の霊廟を設置しました。これが現在の妙泉寺のはじまりです。
慶長十年(西暦1605年)、父君越後守正幸(まさよし)公の逝去に際し、その菩提を弔うため寺院を建立、法悟山妙泉寺と号しました。
京都妙顕寺より上行院日題上人を招聘し開山第一世としました。
時は流れ、明治維新を迎え当山に啓蒙舎を開き、温知館と号しました。
明治五年に学制発布、翌年に横谷小学温知校と改称し、郷土の教育文化に貢献しました(日本銀行副総裁 木村清四郎氏を輩出)。
昭和二十二年、当山中興の祖である第二十五世 常正院日醇上人が入山。葛城大尊天をはじめとした諸天善神の加護を受けた霊験著しく、多くの人の苦しみに寄り添い、寺門繁栄に注力しました。
同時期に、檀信徒の方々のご協力のもと、本堂、葛城堂、客殿、庫裏、鐘撞堂を新築。参道、境内、自動車道、石垣、山門も整備しました。
妙泉寺は、開山以来、四百年を超えて、同じ場所で法華経の教えを伝え続けています。
お寺を作った花房正成公の館は今は跡地が残るのみですが、その墓碑は今も妙泉寺にてお祀りしております。時が流れても、仏様の教えや皆様の想いを守り、伝えていくお寺です。
※花房正成:宇喜多家の忠臣として備中高松城の水攻めも考案したと言われる武将です。
施設紹介
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